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会員の個展・グループ展などのご案内

北海道版画協会創立60周年記念誌

  • 2019年11月5日
  • 読了時間: 9分

更新日:3 日前


ご挨拶


 令和元年 (2019) 北海道版画協会は、創立60周年の節目 を迎えました。

 日本版画は、その歴史や実力において現代でも国際的な評価 が高い美術分野です。明治、大正期から興った創作版画運動(自 画・自刻・自摺)に触発された絵画・詩・彫刻・伝統工芸など のさまざまな分野の作家が、グループを作り自己の芸術的純粋 性を問うてきたと言われています。その潮流が1930年、棟方志功の道展 ( 全道美術協会 ) 版画部への出品を 機会に、北海道でも本格化して本協会の母体となる札幌版画協 会設立に繋がりました。そのような中で1959年誕生した北海道版画協会は、展覧会開催とともに啓蒙活動てら続け社会全体 と大きく関わりながら成長していきました。この60年の歴史は、北海道という風土に培われた精神を制作に活かし、芸術集団としての運動を確かにした時間と言えるでしょう。  

 2019年7月コンチネンタルギャラリーでのプロローグ展初日において、周年事業伝統の北海道版画協会作品集 2019(限定 70 部)を発刊することが出来ました。創立会員を筆頭にさま ざまな年代の版画家による多様な版種・媒体の作品から繊細な 今を読み解く楽しみにもなりましょう。

 そしてテーマ「PRINTRICK」を合言葉に走り出した私たちは、スカイホールでのメイン展で、しっかりと磨かれた歴史と現在をここに刻みたいと、北海道版画協会創立60周年記念誌の発 刊に至りました。  

 これからも、変貌する現代社会と共に更なる発展と「北海道発の真摯な版画の遊び心」を、より多くの皆さまと分かち合え ますように願っています。

北海道版画協会2019事務局長

小林 大



遊びとトリック・・・北海道版画協会60周年記念展に寄せて


 「プリントリック」とは愉快な命名である。つまり、いたずら、手品などの意味を持つ「トリック(trick)」という言葉を使って、版画(print)という表現の面白さを伝えようというものだろう。と、思いつつインターネットで改めて意味を調べてみたところ、トップ記事から数件は映画とドラマのサイトであった。これがまさに世の中の動向であり、一般的と思われるトリックという言葉そのものの意味が最初に出てこないのである。それとも、私がトリックという言葉のたくらみ(トリック)に引っかかったからであろうか?

 言葉遊びをしている場合ではないが、版画とは、素人には良くわからないような技法を使った不可思議な世界であるというように感じている人がいるのではないか?実は私もその一人であった。義務教育で木版画しか試したことのないような者に簡単に版画の深みなどわかるはずはないかもしれない。わからないのは特に技法的なことが多いのだが、キャプションに「メゾチント・ドライポイントにリトグラフ併用」などと書かれていたら、たじろいでしまうのである。これは作家系・実技系の人には目新しい言葉ではないかもしれないが、それ以外の多くの人にとっては意味不明で、カタカナ言葉が連続しているため、いったいどんなふうに制作しているのだ?と頭の中が疑問符だらけになってしまうからである。版画の技法解説は言葉や図だけではなかなか難しく、美術館でも課題なのである。

 偉そうに書くことではないが、筆者はこの疑問符からは超然としていられるようになった。技法について、解説的な意味を頭に入れたなら、作品の前ではそれを無視して鑑賞するのである。技法と作品を照らし合わせながらこの部分はドライポイントだろう、などと1点1点目を凝らして推測するような疲れのたまる方法で作品を見ないようにしている。最初は眼に映ったイメージを鑑賞することに集中するのである。

 そしてお気に入りの作品を見つけたなら、改めて技法へ戻り、どのようにして作品が生みだされたのかを考える。これは、技法と表現が密接な関係にあるためである。よく引き合いに出される言葉として、木版画の価値を大きく高めた棟方志功は、版画は「間接的な仕事」であり「他力本願」であり、それだけに「世界が非常に大きな仕事と重なる」と言っているが、刷られた画面に現れるそうした現象を感じ取るためである。

 この「他力本願」は「偶然性」、あるいはニュアンスは多少異なるが「即興性」と置き換えても良い。棟方の言によれば、木版画は原画を一時的に反転させ、板に貼り、気持ちを入れて彫るので、原画にない偶然が入り込む余地があり、筆でコントロールする絵画とは全く異なるものになる、そして、刷りのとき、インクが紙に染みとおるときに、間接的に版を媒介にするから思いがけない効果が出る、ということである。単純に見える木版画にも深みのある世界が広がっていることがわかる。これは、例えばさまざまな手法を「即興的」に駆使した一原有徳のモノタイプや銅版画の場合であれば、最初は刷ってみなくてはどうなるかわからない世界であったのである。版による刷り上がりの多彩さ、そして強烈なイメージ・・・そのインパクトは時に作者の想像を超えたものだった。

 さて、棟方や一原の作品を見ると、版画の間接的で偶然性のある表現はさまざまな試みを行いながら大いに「遊び」を深めることができるのだと実感する。この「遊び」とは、いわゆる、ふざけている、楽をしている、何もしていない、などという否定的な意味ではなく、自然現象、人間社会、自己表現などに対し、精神的余裕を持ち、既成概念にとらわれず、機知に富む発想で真剣に取り組むことである。その精神は、近世以前の美術では豊かであったものだが、日本の近代美術では物足りなくなってしまったものである。西洋美術の模倣と移入に腐心するあまり、過去の豊かな「遊び」の伝統を忘れてしまった。作品を造る側にも見る側にも「遊び」の受容が不足していたため、真面目に作り真面目に鑑賞するというお堅い構図がいつの間にか出来上がっていたようである。「遊び」の精神によって、作品の自由度は高められ、表現に広がりが生まれ、ユーモアや奇想や風刺の精神も培われる。それを享受する側も、旧い価値観から抜け出して無心に作品と接するようになれば面白い。

 それには版画が一役買うだろう。伝統的技法もまだまだ可能性があるし、CG、ナノテクなど次々と生み出されてくる新たな技術や表現方法も活用して、版表現の世界を広げていくことが期待できるのである。息苦しい現代社会に一石を投ずることもできよう。北海道ゆかりの優れた版画家は数多い。版画ならではの個性と深みのある多くの作家たちの作品に筆者も接してきた。この創立60年の節目となる展覧会では、さまざまな「遊び」の試みによる「トリック」が仕掛けられているはずである。それを今から楽しみにしておきたい。

 令和元年6月
                        市立小樽美術館長
新明 英仁


北海道版画協会創立60周年記念事業テーマ

【PRINTRICK(プリントリック)】


PRINTRICKとは、PRINT(版画、印刷物の意味)とTRICK(手品)を合体させた造語である。 This is a coined word, combining PRINT (meaning of printed matter) and TRICK (magic).

PRINT
現代社会は印刷物があふれている。コピー機やパソコンの発達・普及で誰でもが手軽に画像を取り込んでは印刷出来てしまう。 オフセット印刷、印画紙にプリントされた写真やプリントアウトされたCGも一部では高価な「版画」として市場に放出されている。 恐らく日本のマーケットを見ればこのような印刷複製画類の方が大勢だ。そのような現代に「自画・自刻・自版」の精神で60年前に生まれた この北海道版画協会が、その魅力をどのようにPRしていくべきか、それは即ち私達の問題となった。 今こそ「版を介在した」作家独自の多様性を見せていかなければならないのではないか?

TRICK
制作において「いたずら心」はいつもある。なぜなら「版」を介すことによって偶然性を引き寄せ、自ら意図しないことまでも表現に取り入れられるのが版画の特質でもあるからだ。 原画・製版媒体(銅板や板)・支持体(紙など)などプロセスメディアの吟味を経てから、完成に至る版画作品は、作家それぞれの間接的な「時」との格闘を含んでいる。 作品は、原画・製版媒体(銅板や板)・支持体(紙など)などのプロセスメディアへマニアックにこだわった結果である。


創立までの北海道版画界

INTRODUCTION あゆみをひもとくまえに・・・


八方破れの魅力を… 北海道の版画家たちに

竹岡和田男

 北海道での版画というーつのジャンルが、はっきりと表に現わされてきたのはごく最近のことであろうかと思う。勿論全道展の名簿を見れば川上澄生、斉藤清、前田政雄と いう当代一流の作家の名前があって、北海道の版画もなか なか馬鹿にならぬものだと思わされたものだが、そろって東京とその近辺に住んでいるという点で、それが”北海道の版画”というには一歩親しさを欠いていたのも否定できなかった。

 いま北海道に住んでいる人で、現に北海道の空 気を吸っている人で、そこから"北海道の版画"を作り出す人がいないものかと痛切に感じていた。それがどうやら若い人たちの間で実り出してきたようにみえるのは、それこそごく最近、札幌版画協会が定期的に毎年展覧会を持つようになってからであろうと思う。道展や全道展の会場で、雀の涙ほどのかずの出品作を見ていたときは、正直に言って北海道の若い版画家たちに対して悲観的な材料しか探しえなかった。それが札版協という一つのグループ展で画廊を一ぱいに飾るほどの多くの作品に接したとき、未熟なら未熟なりに、そこに一つの力を見出して頼もしく感じたのである。この力の盛上がりには新たに全道展に加わった北岡文雄の励ましがあった。若い北海道版画の曙光といってもよい時期であろう。

 それからの北海道版画の由美は、堅実である。公募展の出品者は増加しグループ展は確実に開 かれ、そして近い将来には札版画協を中心として、全道の版画家をまとめた北海道版画協会の設立を実施しようとしている。意欲を盛立てる外形はだいたいにおいて整ったものと考えられる。しかし外形が整ううえは内容の充実が今 後の唯一最大の問題である。そしてこれは組織とも環境とも断絶した、それぞれ作家個人の問題であるだけに余けいむずかしいことである。ひと口で言ってしまえば一人一人がすぐれた作品を制作するということだ。

 確かに"北海道の版画"は若い作家たちの自覚によって"盛ん"になったけれども、今のところ意地悪く言えば作品として問題になるものはほとんど現れていない。展覧会になると耽やかにいろんな手法のものが数多く並ぶといっただけのものが”盛ん” という言葉にすりかえられ勝なのである。曙光がさして以来日が浅いのだからそうそう早く完成したものが現れようとは思えないが、同じ習作時代といっても技術に習熟する というだけの時期を早く通り越して自分の個性をどのように刀に託すか、という試みを大胆にやってのけるような時期に入れば、今の外形上の"盛ん"さも、もっと白熱したものになろうと思う。率直に言ってしまえば、私は今の若い北海道の版画家達に、小じんまりした”味”の世界などは期待したくない。八方破れの破錠の中にどうしても人を捕えないではいられないむき出しの魅力、そんなおもしろさが出て来ることを期待しているのである。

竹岡和田男 ( 美術 / 映画評論家 -2000 年逝去 ) 執筆記事は、 道版協ニュース創刊号の原稿そのまま掲載。

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